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【燃えろ!!デブ野球】第10回「外道さんの本は、焼きたてのステーキと吉永幸一郎のホームランの匂いがした」

燃えデブ第10回は、ホームランテラス設置前の福岡ドーム開業以来初の1試合3発を放ったパワーヒッター吉永幸一郎!

外道の本を『いきなりステーキ』で読みながらデブ野球選手に想いを馳せる

「究極のことを言ってしまうと、プロレスとは頭なんだよ。すべてはセンスだ」

 頑張ってさえいれば報われるなんて甘い世界じゃない。このジャンルがどういうモノなのかキチンと分析して考えられる頭がないと、何を頑張れば良いのかすらも分からなくなってしまう…か。『To Be The 外道 “レヴェルが違う!”生き残り術』(ベースボール・マガジン社)は死ぬほど読み応えのある本だ。秋葉原の書泉ブックタワーで買う際に「税込1836円って高ぇな…」と一瞬躊躇してしまった自分の横っ面にトラースキックを食らわせてほしい。破竹の快進撃が続く新日本プロレスの頭脳ことレスラー外道は言う。

 「どこの誰が普通の体育教師みたいな格好をしたヤツにお金を払うんだ? これだけ娯楽が溢れている時代、普通のオッサンにお客さんはお金を払わないよ」と。プロレスで(恐らくプロ野球でも)観客が求めているのは特殊なキャラクターであり、一種の過剰さだ。こいつを見るためならお金を払っていいと思わせる「何か」。大谷翔平や棚橋弘至じゃないけど、圧倒的に球が速いとか、凄まじい筋肉をしているとか、とにかくステーキが食えるとか…って、駅前の『いきなり!ステーキ』にこの本を持参して日々食いながら読んでいたら、もはやページに肉汁の匂いが染み付いて腹が減ってしょうがない。ったくニクいね外道さん、なんつって今週も高カロリーの『燃えデブ』が始まった。

秋山、小久保とクリーンアップを形成、ベストナインも2度受賞

 一昔前の球界では過剰なほどに“打てる捕手”が溢れていた。古田敦也、城島健司、阿部慎之助といったクリーンナップを任せられるキャッチャーたちの存在。彼らと比較すると知名度では劣るが、インパクトでは吉永幸一郎も負けてはいなかった。90年代のダイエーホークスで猛打を振るった身長184cm、101kgのアンコ型体型の捕手である(95年選手名鑑では89キロだったが年々増量)。東海大工業高校から87年ドラフト5位で南海ホークスに入団、一見ストロングスタイルとは程遠い色白ぽっちゃりメガネのさえない教員スタイル。だが、左打席から放つ打球の角度と飛距離は芸術的なホームランアーティストそのものだ。内角打ちの巧みなバットコントロールにはチームメイトたちも驚嘆するほどで、94年(率.284 19本 55点 OPS.838)と96年(率.295 20本 70点 OPS.911)には捕手でベストナイン受賞。時に3番センター秋山幸二、5番セカンド小久保裕紀を従えて強打の「4番キャッチャー」として王監督からも重宝された。その豪打のイメージが強いが、94年には同期入団・吉田豊彦との元南海生き残りコンビで最優秀バッテリー賞を獲得。95年は盗塁阻止率.436、96年も阻止率.377と決して肩も弱くなかった。

 プロ10年目の97年には当時3年目の城島健司の台頭と自身の下半身の故障で一塁転向。吉永から城島という贔屓チームにこのレベルの打てる捕手世代交代があったら白いご飯3杯はいけそうな展開だったが、吉永のバットは絶好調でまだホームランテラスのない打者泣かせの広い福岡ドーム開業以来初の1試合3本塁打を記録。打率も初めて3割をクリアし、自己最多の29本塁打をかっ飛ばした。近年ほどパ・リーグの試合が手軽に見れなかった時代、ゲームの『パワプロ』で吉永のパワーヒッターぶりを知った野球ファンも多かったと思う。

スパイ疑惑で名前があがり、晩年は巨人へトレード

 と、ここまでは順調なキャリアだったが、翌98年はチームのスパイ疑惑(職員がモニターで相手チームのサイン解読し、それを外野席にいるアルバイト学生に無線で伝え、メガホンの動きで打席に向かって球種を知らせたのでは…という騒動だったが決定的な証拠が見つからず不問)で名前が挙がり、直後に女性スキャンダルも報じられ、徐々に出番を失い2000年オフには巨人へトレード移籍。だが、同年ドラフト1位で中央大の阿部慎之助が入団してきたこともあり出場機会に恵まれず3シーズンで退団。34歳で現役引退した。ちなみに巨人移籍後、当時若手捕手だった加藤健が悩んでいる時期、チームメイトのベテラン吉永が自身のことを「いい選手だな」と褒めていたことを人づてに聞き、その言葉に本当に救われたと自著『松坂世代の無名の捕手が、なぜ巨人軍で18年間も生き残れたのか』(竹書房)の中で感謝を記していた。

 全盛期の吉永幸一郎がどれだけ凄かったのか? ぜひどこかで動画を見つけて確認してみてほしい。誰がどう見てもセンスの塊。豪快なんだけど柔らかい。マジうますぎる…まさにステーキ打法。例によって凄まじい締めだが、今日も外道の本片手に俺は『いきなり!ステーキ』へ走るだろう。

 なお97年オールスター第1戦のパ・リーグスタメンは「1番イチロー、2番松井稼頭央、3番小久保裕紀、4番吉永幸一郎、5番タフィ・ローズ」である。

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