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タピオカモトを飲みながらSB工藤監督の30年間に思いを馳せる【燃えろ!!デブ野球】第74回

燃えデブ第74回は交流戦 “ロクテンニサンGH決戦”in闘強導夢リポート!

何て言うのか、一時代を築いた元プロ野球選手の背中は格好良かった。

 えっ? 小早川だよな?

 23日、巨人とソフトバンクの勝った方が交流戦優勝の大一番。8回表終了時、トイレから座席に戻ろうとしたら、東京ドームの三塁側記者席付近からひとりの大柄な男性が出てきた。マジかよ、あれは小早川毅彦だ。江川に引退を決断させるサヨナラ弾を放った元祖カープのプリンス。今シーズン、広島・西川龍馬の連続試合安打で盛り上がった際、84年の小早川の持つ球団歴代3位の23試合連続安打があらためて話題になったのは記憶に新しい。確か今はNHKやサンスポで評論家をやっている。

 思えば、広島でのコーチ就任を断り、新天地ヤクルトで現役続行を決めた97年開幕戦では、ここ東京ドームで巨人の平成の大エース斎藤雅樹から3打席連続ホームランをかっ飛ばした。22年前、超満員のスタジアムのど真ん中で主役を張った男はほとんど誰からも気付かれることなく、静かに出口へ去っていった。何て言うのか、一時代を築いた元プロ野球選手の背中は格好良かった。刹那の世界でアスリートたちは徹底的に今を生きる。老いはリアルに引退という死に直結する。目の前にいる巨人やソフトバンクの選手だってそうだ。で、日曜日の午後に野球を眺めてる俺らはどうだろうか……なんつって岡本和真の「TAPIOKAMOTO~いちごミルクver.~」をゴクゴク飲みながら今週もストロベリーコラム『燃えデブ』が始まった。

今のソフトバンクは強い。思わず「野球観が変わった」なんて往年の岡崎郁の顔真似をして呟きたい気分だった。

 いや冷静に見て、アラフォーのおっさんがひとり球場でピンク色のタピオカミルクを飲んでる姿は切実さとは一番遠いところにある気がする。それにしても、今のソフトバンクは強い。柳田が怪我しても、福田がこの3連戦で3発とMVP級の働き。これが例えば巨人で丸が故障したらもうどうにもならない。ホークスの選手層の厚さ、そつのなさ、野球の質と思わず「野球観が変わった」なんて黄金時代の西武ライオンズに敗れた往年の岡崎郁の顔真似をして呟きたい気分だった。そんな時に、小早川を目撃したわけだ。あの三連発は97年4月の開幕戦、で翌日に桑田がマウンドプレートに右肘乗せて復帰登板して移籍後初アーチの清原とお立ち台に上がったんだよな。

 ……と思って、試合記録を調べたら桑田は第3戦の先発だった。じゃあ2戦目は槙原? いや現投手コーチの宮本和知である。やはり人の記憶っていうのは、時間の経過とともに自分の都合のいいように塗り替えられていくものだ。正直に書くと、俺も色々なところで「90年代後半から2000年代後半の10年くらいはサッカーばかり見ていて、そんなに熱心に野球を追っていなかった」と書いたり話したりしてきたが、今回の平成野球本を書く際に仕事部屋から結構な量の当時の野球雑誌が出てきて、「あれ? 普通に読んでんじゃん」と自分でも意外な気がした。ついでに昔の工藤のキャラの変わり具合にもビビった。

 いまや常勝ソフトバンクを率いる工藤公康は、若手時代はめちゃくちゃだった。ルーキー時代からあの広岡さんに“坊や”と呼ばれ、チームの優勝争い真っ只中の森監督からのペナント終盤フル回転指令に「優勝するためにやってるわけじゃない。来年投げられなくなったら終わり」なんてクールに反論。オレが怪我したとしてあんたがその後の人生の面倒を見てくれるのかというわけだ。その掴みどころのない自由奔放なキャラは“新人類”の象徴としても話題に。テレビ朝日『ニュースステーション』では渡辺久信との「クドちゃんナベちゃんのキャンプフライデー」というおちゃらけたコーナーが度々放送され、毎晩のように六本木を飲み歩き、チームリーダー石毛宏典とのヒーローインタビューの漫才トークやビールかけでの熱いキスも話題を呼んだ。

若手時代、プレーヤーとしてはもう好き放題にやった。だから、今は割り切って仕事ができる。

 その工藤が2019年の交流戦優勝インタビューでは、面白くも何ともないカテェ発言に終始した。いやぁ人は分からない。あなたの会社のカテェ上司も、昔は組織の問題児だったかもしれない。プレーヤーとしてはもう好き放題にやった。だから、今は割り切って仕事ができる。会社の飲み会でおっさんが「若いときに遊んでおいた方がいい」と言うのも、そのためなんじゃねえかと自分がいい歳になって気付く。だから、よく写真週刊誌に撮られる坂本勇人なんかも20年後にいい監督になってるんじゃねえかと思うわけだ。

 最近、自身の『今日もどこかであくたろう』ブログでの選手に対する優しく暖かい視点がファンにも人気の堀内恒夫は、若手時代は球団史上最悪レベルの問題児として有名だった。『ベースボールマガジン』7月号によると“縄梯子クライミング作戦”や“風呂場潜伏作戦”とあの手この手で命を懸けた門限破りを繰り返し、罰金が増え続け、給料袋の明細に「マイナス3万円」と記されていたこともあったという。昭和も平成も令和も大事なのは、よく投げて、よく遊べ。日曜の東京ドームで交流戦Vを掴んだ56歳の背番号81、あのやんちゃな工藤も大人になり、もう目立ってスポットライトを浴びるのは現役選手たちでいいというボスの顔にも見えた。

 以前、MLBの元スーパースター、バリー・ボンズがスポーツ報知のインタビューで「なぜ地味なコーチ業を選んだのか?」という問いに対し、こんな言葉を残している。

「スポットライトはもう十分に浴びてきた。輝かしい時代は確かにあった。でもその輝きは永遠に続くものではない。私は自分の時代を生きた。現役選手はそれぞれ限りある時間を生きている。それでいいんだよ」

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