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ポチャメン人生ゲーム ユウキとアツヒロ2 『きっかけはいつだって、渋谷のゴールドラッシュ』

社会人として走り始めたユウキとアツヒロ。思い出グルメとともに振り返る二人の20年。

前編はこちらから

ユウキの告白 たっぷり時間と金をかけて人脈とお腹を育てていった


生まれは千葉の柏なんだけど、高校の時から東京には遊びにきてました。先輩が渋谷のアパレルショップで働いてから服買いにとかね。夏も千葉県民はふつう御宿行くんだけど、俺はイキがって江ノ島まで3時間くらいかけて行ってた(笑)。ラグビーは高校の時もやってたんだけど、そん時はまだ痩せててバキバキだったから女の子にモテたね。ナンパして駅前の「マック」か「カプリチョーザ」で飯食ってそのまま流れでお持ち帰りとか。
まあ遊びは好きだった。でも同時にスポーツも好きで部活は4年間真面目にやってたよ、アツヒロほどじゃないけどさ。同じフォワードだけどあいつはプロップで体型もアンコ型。汗臭いんだマジで(笑) 。俺はナンバーエイトだから自分で言うのもなんだけどカッコよく見えるんだよ。まあ部の中じゃチャラチャラしてる方だったけど不思議とアツヒロとは仲良くてね。飯食うのも酒飲むのもだいたい一緒だった。

芸能マネジャーとして就職。新人アイドルの担当に


正直大学出て何やるかなんて考えてなかったんだけど、高校の友達がバンド組んでて、そいつが俺が大学3年のときデビューしたんだよね。そいつのライブ行って楽屋挨拶行ったとき「ああ何か楽しそうだな」って。元々ミーハーで、テレビとかお笑いも好きだったから芸能の仕事やりたいなって思ったんだよ。でも自分が表に出るのは向いてないと思ってから、芸能事務所で面接受けて月給18万のマネージャーになった。最初は駆け出しのアイドル4人組のマネジメントやらされたんだよ。彼女たち頑張り屋でさ、こっちも金ないけど路上ライブの後「ステーキのくいしんぼ」とか「ビッグボーイ」とかで肉食べさせてあげるの。そしたら「おいしいです、もっと頑張ります」って15、6歳の少女が言うわけよ。俺も頑張らなきゃって、いろんなとこに頭下げてとにかく売り込んだんだよ。そしたら喋りが面白いアイドルって感じで、当時お笑い芸人がMCしてたお台場の番組でウケてCDがめちゃくちゃ売れた。

彼女たちの人気が急上昇する中で俺の給料もいつのまにかドンドン上がって、入社3年で月給40万+臨時ボーナスがたまに100万くらい出たの。俺はその頃「自分で発掘してスターを作る」って躍起になってたからとにかく顔売って人脈つくらなきゃって赤坂、麻布、恵比寿あたりで毎日のようにマスコミ・芸能関係者と飲んでた。クラブとかバーをハシゴして皆んなを見送ってから一人で「赤坂ラーメン」か「かおたんラーメンえんとつ屋」で締めて、麻布十番の裏路地にある家賃6万円の安アパートで寝るわけよ。金は全部使ってたから貧乏なんだけど、とにかく未来への投資だと思ってね。だからキャバ嬢には港区住みアピールしてたけど家は連れてかないわけ(笑)。毎日そんな生活してたもんだから、大学時代に鍛えた筋肉貯金は全部くいつぶして28くらいの時はもう全身ぷよぷよ。体重は100キロ超えるか超えないかくらいだった。

そのあとオーディションでやってきた子がボーカルとして、ものすごい才能だったわけ。社長に「俺に任せてください」って頼み込んで、アメリカでレッスンさせたり売れっ子作曲家に曲書いてもらったり、プロモーションにすごい金かけたのよ。絶対売れる、売れなかったらもうこの業界去ろうと思ってたからね。結果は大ヒット。そん時思ったわけ、俺はアーティストをマネジメントする才能がやっぱりあるんだって。だからその子のCD3枚リリースした後、全てを後輩に委ねて会社を辞めた。ちょうど30歳の時だった。

再び交差する二人のポチャメン


その後独立したユウキはファッションと音楽を融合させた若者向けイベントを仕掛け、大成功を収める。さらにかつての遊び場渋谷に「現役アイドルと会える」カフェをオープン。イベントブースを常設した店内で定期ライブを行うなど、その斬新な手法は業界でも注目される。
一方のアツヒロは職場へ向かう気力が起きず、休職も1年を過ぎようとしていた。いくら大企業とはいえ周りの目は厳しく、いよいよ退職目前となっていた。
そんな二人が久々に再会したのは34歳になった夏だった。場所は渋谷の「ゴールドラッシュ」。席につくなり、ユウキがアツヒロに話しかける。
「しかし暑いなあ。100キロ超えのデブには渋谷の坂もキツくなってきたよ。それはそうと、お前まだ仕事できないのか」
「ああ、もう会社辞めて田舎帰ろうと思ってる」
「そうか、お前が決めたことなら仕方ないな…。それでどうするんだ貯金だってすぐ無くなるだろうし、働かないただの太っちょじゃ結婚もできないぞ
「わかってるよ。いいよなお前は、今は若いイギリスハーフのモデルが彼女なんだろ。美女と野獣ってお前のことを言うんだよ。だいたいそんな派手なアロハ着やがって。もう俺らおっさんだぞ」
「俺が合コン誘ったって来やしないじゃないか。いいか、落ち込んでる時こそ明るい服着るといいんだよ。気分も明るくなるし、だいたいデブはアロハ似合うんだ。高木ブーとか小錦とかそうだろ。こうやってウクレレ弾いて……そうだ、田舎帰るくらいならいっそハワイに1年くらい住んでみればどうだ。環境変えれば気分も変わるかもしれないぞ」
「ハワイか…そうだな」

カウボーイハンバーグの溢れ出る肉汁が、鉄板の上でじゅうじゅう焦げる音を聞きながらアツヒロは「ちょっと行ってみるか」とユウキの提案を満更でもない様子で聞いていた。

東京では食べなかったパンケーキが格別に美味しかった


その年の秋、アツヒロは会社を去った。上司には慰留されたが編集者はもうできない、と感じていた。観光ビザで年内の残り3ヶ月をハワイのコンドミニアムで過ごそうと決めていた。そのホノルルでアツヒロは、運命的な出会いを2つすることとなる。

1つ目はパンケーキの衝撃的な旨さだ。「腹が減ってるのに行列に並ぶのは邪道」がモットーだったアツヒロは原宿で行列になっているパンケーキ屋に行ったことがなかった。現地のホノルルっ子が朝食に食べる人気パンケーキ屋は、フルーツもたっぷりで、頬張るごとに口いっぱい南国の滋味と甘味が溢れとても幸せな気分になった。

2つ目は生涯の伴侶となるクミコ(29歳)との出会いだ。浅草で3代続く和菓子屋の娘だが、昨年夫と離婚。傷心のケアも兼ねて、ハワイへ社会人留学をしているという。ロイヤルハワイセンターで行われていたハロウィンイベントで出会った二人は、同じ心に傷を持つ者同士、すぐに意気投合した。「好みのタイプは高安」というクミコが好きというパンケーキ屋でデートを重ね、二人の距離は急激に近くなっていった。

クリスマスイブ。Facebookのメッセンジャーで「彼女ができて、いずれ結婚しようと思っている」とアツヒロから知らせが届いたとき、ユウキは泥酔した状態で、かおたんラーメンの雲呑メンをすすっていた。彼女と大げんかをしてしまったのである。ユウキの浮気が原因であった。「そうか幸せになってよかったな。俺は聖夜にこうして一人早朝にラーメン食ってるよ…」

いつまでも続く二人の友情


39歳となったユウキは恵比寿にあるタワーマンションの最上階に住んでいた。仕事は順風満帆。テレビでも活躍するおバカタレントからファッション誌で活躍するモデル、アイドルグループを抱える事務所は業績好調。現場の仕事は部下に任せ、ユウキはビッグサイズ専門アパレルやポチャメンがとことん満足する大盛ラーメン店など、新規事業の拡大へ向け動き出している。しかしこの部屋にいるのはユウキだけだ。1時間前まで恵比寿ガーデンプレイスのロウリーズ・ザ・プライムリブでディナーを共にしていた女性は単なる仕事上のパートナー。中年となったユウキに今彼女はいない。

そこで思い出したように冷蔵庫からおもむろに取り出した箱には、あんこ、ごま、それに見たこともないレインボー柄の〝ハワイアン団子〟と、3色の串団子が入っていた。それはアツヒロとクミコ夫妻が作った団子である。アツヒロはクミコと一緒になり、実家である浅草の和菓子屋で修行を重ね、ついに今年四代目としてデビューしたのだった。そしてクミコの腹には5代目が宿されている。

「お前は大学の時から泥臭いけどいい仕事してたよな。この団子、浅草で作ってるはずなのに田舎くさい味がするよ。けどマジでうまいぜ」

眼下に東京の夜景を見ながら、和三盆を使った甘すぎない串団子を10本ほどペロリと平らげた。東京を上から見るユウキと下から見るアツヒロ。二人のスクラムはいつまでも続くだろう
か。
<完>