【燃えろ!!デブ野球】第2回「俺は脂肪燃焼よりも、人生を完全燃焼したい」
プロ野球死亡遊戯によるデブ野球選手論。第二回の テーマは、頑固一徹! 人生フルスイング男『門田博光』
選手寿命の短かった昭和の時代。太った中年の星がいた
最近、大戸屋の“たまごぷりん”を週2回は食べている。
税込216円、268kcal、塩分0.1g。なんつって無意味にグラビアアイドルのスリーサイズのような書き方をしてみたところで、今年も『燃えろ!!デブ野球』が始まった。寒さも厳しいこの季節に、暑苦しい文章で対抗する本連載『燃えデブ』は隔週掲載かと油断していたら、毎週金曜連載らしい。何の職業もそうだが、ライターも最後は体力勝負だ。あと何年、自分はこのハイペースで書き続けることができるだろうか…ってサッカー界の生きる伝説キング・カズは、50歳にしてプロ生活33年目に突入することがニュースになっていた。近年はあらゆるジャンルのプレーヤーの寿命が延びている。50代のロックシンガーが精力的にライブをこなし、アラフォーの歌って踊れるアイドルグループもいれば、35歳の深田恭子の写真集がメディアを賑わす現代社会。プロ野球選手だってそうだ。もはや40代の現役選手がいても誰も驚かなくなった。
これが昭和の時代は違った。13勝を挙げた江川卓は32歳、掛布雅之も33歳の若さで電撃引退。強引に比較するとレアル・マドリードのクリスティアーノ・ロナウドは来月で33歳になる。ベテランとなりエースや4番でいられなくなったら、裏ローテや代打ではなく、ジ・エンド。マジ厳しい。泣きの1回は許されない、負けたら即引退のプロレスラー橋本真也状態(橋本は復帰したけど)。山田久志、村田兆治、東尾修といったパ・リーグの大エースたちもそれぞれまだ余力を残してユニフォームを脱いだ。いわゆるひとつの、引き際の美学である。
王、野村に次ぐ歴代3位の伝説的スラッガー、それが門田博光
そんな彼らと同時代を生きた一人のスラッガーがいた。南海ホークスの門田博光だ。1948年生まれ、69年ドラフト2位。身長169cm(170cm説もある)の小さな身体に体重80kg超えのワガママボディ。手元の『週刊プロ野球セ・パ誕生60年 1988』(ベースボール・マガジン社)によると、頑固一徹で左打席からのフルスイングにこだわる姿に先輩の野村克也も手を焼き、王貞治に頼んで「ホームランはヒットの延長」と説得しようとしたが未遂に。門田は常識に納得することはなく全力でバットを振り続けた。男30歳の冬に右足アキレス腱断裂も「ホームランなら歩いて帰って来られる」なんて不屈の闘志で、復帰翌年には初の40発クリア。3度の本塁打王に輝き、通算567本塁打と王さんとノムさんに次ぐNPB歴代3位の記録を残した伝説的スラッガーだ。
やはり門田と言ったら、昭和最後のシーズン1988年の活躍を思い出す人も多いのではないだろうか? 40歳にして、44本、125打点で打撃二冠とMVPを獲得。背番号60は「中年の星」や「不惑の大砲」と称された。…なんだけど、正直に書くと子どもの目からは門田は現役選手で最もおじさんに見えたのも事実だ。なにせ中年太りで腹は出て、丸い顔も中小企業の社長さんのような貫禄でダブルスーツが似合いそうなあの感じ。最近のベテラン選手はスマートな“良き兄貴分”のような雰囲気だが、門田はまさにコテコテの“浪速のおっちゃん”である。
気づけば自分が、あの頃の門田に近づいてきた
南海が88年限りでダイエーに身売りすると、娘さんの高校の都合で九州への単身赴任と平和台球場の人工芝を避けて、在阪球団オリックスへ志願のトレード移籍。翌89年、新天地でも打率3割30本をクリアした41歳門田はブーマー、石嶺和彦、藤井康雄らと4人合わせて計123本、384打点の“ブルーサンダー打線”で球界を盛り上げた。一時は優勝マジック9が点灯するも、ホームランを打った門田が「出迎えの巨漢ブーマーとハイタッチして右肩を脱臼する」というなんだかよく分からないアクシデントにも見舞われ、最後は近鉄ブライアントの神がかった爆発力に優勝をさらわれた。やがて愛娘が無事進学すると、晩年はダイエーホークスのユニフォームを着て44歳で現役引退。最終打席では近鉄の野茂英雄のストレートをフルスイングでサヨナラ空振り三振締め。最後まで男は頑固だった。
気が付けば自分が、子どもの頃に「普通におじさんだなぁ」と思った門田の年齢に近づいてきている。先週、浅草橋の熟女パブに行ったら37歳のママと同窓会のような雰囲気になってしまった。
俺は門田博光のように、脂肪燃焼よりも、人生を完全燃焼したい。
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