【燃えろ!!デブ野球】第20回チーズハンバーグの香りに小笠原慎之介のヒールターンを妄想した
燃えデブ第20回は大のプロレス好きで知られる中日の次世代エース小笠原慎之介!
40歳が近づき、ドラクエよりもハンバーグを選ぶ大人になった。
「雑誌の売れ行きは1997年が絶頂でした。(中略)1995年7月は、スーパーファミコンが絶頂期でゲーム界はまだ明るかった」
先日、『ハンバーグの店ベア』のチーズハンバーグステーキを食べながら読んだ『フリーランス、40歳の壁 自由業者は、どうして40歳から仕事が減るのか?』(竹熊健太郎著)の中にそんな一文があった。「バブル崩壊は1991年2月ですが、市民生活に不景気が実感されるようになるのは1990年代後半から」らしい。世紀末のエンタメ業界のリアルは非常に面白いが、著者の竹熊氏は自分より約20歳上だから見てきた景色も当然違う。でも、確かにあの頃は雑誌が街中の至る所にあった。電車の中でサラリーマンが読む週刊プロレス、しみったれたラーメン屋に置かれた油っぽいFOCUS、なぜか田舎の河原に落ちてるデラべっぴんとか完全に風景の一部である。
さらに当時のスーファミのカセットは1万円近くしていた記憶がある。ドラゴンクエストやファイナルファンタジーの大作RPG新作は余裕で1万円を越えていた。いったい子どもの小遣いでどうやって買っていたのだろうか? ちなみに今食ってるチーズハンバーグステーキは格安の750円だ。俺はドラクエよりも、ハンバーグを選ぶ大人になった。そう言えば、親に預けたお年玉はいったいどこに消えたんやろか…なんつって、乗り遅れたバブルを振り返りながら、今週もチーズの香り漂う月9コラム『燃えデブ』が始まった。
1年で公称体重が一気に12キロ増えた小笠原の肉体
なんとなくフリーランスを名乗っても何かしら仕事があり、雑誌やゲーム業界が元気だった1997年10月に生まれたのが、今回紹介する中日ドラゴンズの小笠原慎之介投手である。東海大相模高で夏の甲子園優勝に輝いた最速152キロのドラ1サウスポーは、高卒1年目の9月の巨人戦でプロ初勝利、2年目の昨季は9月19日の巨人戦でプロ初完投を挙げ5勝をマーク。3年目の今季は2リーグ分立後、球団史上最年少で開幕投手を務めた。
毎年着実にステップアップ。前監督の谷繁氏が「僕が監督の時に絶対的エースになれると思ったから指名した」と明言したように、中日の次期エースを託された小笠原だが、17年から18年にかけて大きな変化があった。球団公式サイトや選手名鑑で180cm/83kgだった公称サイズが、今季から180cm/95kgへなんと12kg増。正確に言えば、プロ1年目からすでに増量していたが、プロ野球選手の公称体重はグラビアアイドルのスリーサイズと同じくアバウトで、小笠原の場合はここ数年でジュニアクラスからヘビー級戦線でも戦えるレベルでウエイトアップしたわけだ。
そう、憧れの新日本プロレス内藤哲也の180cm/102kgへとどんどん近付いているのである。高校時代からアメリカのプロレス団体WWEの熱狂的ファンで知られていた小笠原だが、17年3月11日には自身のインスタで人生初の新日観戦へ行ったことを報告。「迫力がすごくて鳥肌立ちっぱなし笑 また見に行きてー!って思いました!」と無邪気に喜び、直後の東スポ紙面では遂に大ファンを公言する内藤本人と初対面。小笠原は内藤が率いるヒールユニット「LOS INGOBERNABLES de JAPON(ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポン)」のグッズを自ら通販で購入し、本拠地ナゴヤドームで登板する際の登場曲は、内藤の入場テーマ曲「STARDUST」を使用するほどの熱の入れようだ。
野球ファンの前で内藤哲也のモノマネをぶっこむ小笠原の強心臓を見習いたい
そのプロレス愛は本物で、昨夏の球場外トークイベントでは「応援の方、よろしくお願いします。あと、(チームが)こういう状況ですけど、皆さん…トランキーロ、あっせんなよ!」なんて唐突にゼスチャー付きで内藤モノマネをぶっこみ、野球ファンの客はほとんど誰も理解できない修羅場を招くも、自らトランキーロを解説して「僕のあとに、あっせんなよって言ってください!」とリトライする強心臓ぶりも発揮。先週17日にはナゴヤドームに始球式で来ていた、自身も小学生時代からの大ファンだと公言するSKE48の松井珠理奈(スペシャルアンバサダーを務めるほどの新日フリーク)と試合前に共通の趣味であるプロレス談義をかましてみせた。凄い、すでにプロレスファンとスーファミ世代以外はほとんど読むのを挫折しているであろう、このコラムを書いてる俺も見習いたい一途な情熱である。
今季はスタミナ不足による“100球の壁”で、ここまで1勝と壁にぶち当たっている背番号11。ちなみに内藤哲也はベビーフェイス(善玉、正統派スター的なキャラ)で伸び悩み、メキシコ遠征を機に悪役へヒールターンしてトップ戦線へ返り咲いた。そろそろ小笠原もあえて憎まれキャラを買って出て、16年ドラ1右腕の柳裕也あたりと共闘。「柳、お前は噛みつかないのか!? 今しかないぞ、俺たちがやるのは!」なんつってアラサーの大野雄大やガルシアに世代闘争を仕掛ける頃合いかもしれない。
伝統的に中日ドラゴンズは、80年代の近藤真市や90年代の今中慎二といった不敵で尖った高卒ドラ1サウスポーが強烈な光を放った時代があった。確かにあの頃、バブル前後の日本はユルユルで勢いがあるいい時代だったのかもしれない。
でも、小笠原慎之介のような投手の登板試合をスマホで好きな時に見れて、数十本のソフトが入ったスーファミミニが8000円で買える2018年も捨てたもんじゃないと思うよ。
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