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【燃えろ!!デブ野球】第16回“平成のオカダ・カズチカ”に“昭和の江川卓”を重ねた甘い夜

燃えデブ第16回は空白の1日騒動とわずか9年間の現役生活で伝説となった昭和の怪物・江川卓!

パンケーキを頬張りながら、昭和の怪物・江川の記憶を呼び起こす

「オカダ・カズチカなんかは平成のプロレスラーだと思うよ。考え方から試合運びから。何て言うかな、クリアなプロレスだよ」

『俺たちのプロレスVOL.9』(双葉社)の中で天龍源一郎が長州力との対談の中でそう言っていた。そして、オカダは『プロ野球死亡遊戯 さらば昭和のプロ野球』(ユーキャン)収録インタビューで天龍の引退試合でのオールドファンの視線について、「自分たちは今やっているプロレスに自信を持っている。それでもやっぱり昔を知っている人は今のものについて否定から入るという部分があるんですね。これはどのスポーツでもそうだと思う。それを変えていきたい」と過去と闘う自身の立場を自覚した発言をしている。

 確かにオカダのプロレスはクリア、中邑真輔のプロレスはカオスだ。WWEはそのカオスにオリエンタルのスパイスをまぶしてシンスケ・ナカムラを売り出した。30代に突入したオカダは、これからレスラーの色気とも言える一種のカオスさを身につけることが求められるだろう。…ってこれもう完全にガチのプロレス連載じゃねえかなんて突っ込みを受けつつ、今週も『ジェイエス パンケーキカフェ』で30代後半のおっさんがひとりでチョコレートバナナを頬ばりながらハイカロリーの『燃えデブ』が始まった。

 故・ジャイアント馬場夫人の元子さんが亡くなり、平成がもうすぐ終わろうとしている今、昭和という時代も遠くなりつつある。天龍や長州、もちろんジャンボ鶴田と常人離れした怪物たちが切磋琢磨していたあの頃のプロレス界。だが、“昭和の怪物”と言えば、やはり元巨人のエース江川卓ではないだろうか。身長183cm、90kgの大きい耳と現役晩年は微妙に出ていたお腹がトレードマーク。子どもの頃、テレビで観た江川の引退会見は今でも強烈に覚えている。

江川は当時の球界では珍しく合理的でクールな考えを持った男だった

「さすがプロだなあと思ったのは、自分が一生懸命やって135勝という勝ち星しかおさめられなかったということ。プロの厳しさを痛感しました」

 プロで1勝もできずに球界から去る投手も数多い中で“135勝しか”と言えてしまう才能。作新学院時代はその殺人的なスピードボールが相手打者のバットにかすっただけで客席から大きな拍手が湧き上がり、1年時から完全試合を達成し、高校3年の栃木県大会予選では5試合中3試合がノーヒットノーランで甲子園出場を決める怪物ぶりを発揮した。甲子園での通算防御率は0.46、1試合あたり平均15.3奪三振という実績を引っさげ入学した法政大学でも通算46勝を挙げ、浪人後あの日本中を敵に回したドラフト空白の1日事件(スペースの都合上ググってみてください)を経て巨人のエースへ。81年には20勝を挙げ、投手五冠に輝きMVP獲得。だが、沢村賞は記者投票で敗れ成績の劣る同僚の西本聖にさらわれてしまう。囁かれるのは、入団時のゴタゴタで江川の人格をよく思わない記者達の票が西本に流れたという噂。だったら、「受賞規定に人格が必要って書いておけよ」と江川は毒づく。

 プロ9年目の87年終盤に広島の小早川にサヨナラアーチを食らって涙を流し、13勝を挙げながら32歳の若さで引退。これは強引に現在の球界に例えるなら今年8月で32歳になるダルビッシュ有(カブス)やプロ9年目の長野久義(巨人)が今オフに突然引退するくらいの衝撃だ。そう考えるとマジで早すぎる。昭和の大投手たちは腕もちぎれんばかりに限界まで投げ続けたのに、江川は中5日先発を定着させ、「今は優勝と言っても6年に1回すればいい」とうそぶく。若手投手にも兄貴分として慕われ一大勢力に。V9時代から続いた巨人の厳しいチーム体質は80年代の江川が変えたと指摘するOBも多い。

 引退した定岡正二がグラウンドへ取材に行けば、周囲を気にせず「儲かるかよ」と軽口を叩き、「オレに税金の話をさせたら、1時間でも2時間でも喋ってやるよ」と豪語する男は、税金対策のために巨人の現役プレーヤーで初めて個人事務所を設立。だが決してケチなわけではなく、新聞記者を何人か集めてポーンとウナギを御馳走する一面も持っている。それはそれ、これはこれ。そう興奮しないでやりましょう。だって税金対策なんかして当たり前でしょ、俺らプロなんだから。江川卓は当時の球界では珍しく合理的でクールな考えを持った男なのである。

カネの話が大好きな怪物と、カネの雨を降らせるレインメーカー

 そう言えば、『俺たちのプロレス』の中で天龍は「俺たちの頃は人生背負ってるみたいな感じでリングに上がっていたけど、そういうのは見えないよね」と今のプロレスについて語っていた。これって、80年代に江川が野球解説者たちから散々指摘されていた苦言と被る。ということはオカダ・カズチカの元を辿れば江川卓に行き着く。ともに業界の古い価値観と戦い、カネの話が大好きな怪物と、カネの雨を降らせるレインメーカー。

 ドラフトで叩かれ、プロ入り後も手抜きと批難され、引退会見では打ったら終わる禁断の針騒動で物議を醸す。それでもプロ9年間で自分のやりたいようにやった江川のファンだと言う50代、60代は多い。『東京物語』(集英社)という奥田英朗が書いた1979年を舞台にした小説の中で、普段は野球に興味を示さない女の子がこんな台詞を言うシーンがある。

「わたし江川って凄いと思うな。日本中を敵にまわして、へこたれないんだもん」

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