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【燃えろ!!デブ野球】W杯を眺めながら、相手監督に顔面キックを食らったトレーバーを思い出す明け方

燃えデブ第26回は90年代初頭に近鉄いてまえ打線の中心で暴れたジム・トレーバー!

名物おろしカツ丼を食べながらコンテンツのフラット化を思考する

 「雑誌解体」の時代。

『少年ジャンプが1000円になる日 出版不況とweb漫画の台頭』(大坪ケムタ著/コア新書)の中にそんな一文を見つけた。かつて漫画雑誌は『ジャンプ』や『マガジン』と存在自体がひとつのブランドだった。だが今や漫画はそうした「雑誌単位」でなく、より「作品単位」で楽しむものになりつつあるという。作品を選ぶ基準も絵柄や口コミが雑誌名や出版社を上回るリアル。先々週のゲームの話題でも各時代のソフトが同じまな板に載せられ、遊ばれ、愛される対象になったスーパーフラット化を取り上げたが、漫画界でも同じことが起きているわけだ。

 実はライターも似たような状況で、自分の書いた記事がどこの媒体に載っているか話題に挙がることはほとんどなく、「全部ヤフーでフラットに並ぶ記事」扱いである。スマホがベースにあり、媒体の優位性だけでなく、情報の優位性も崩れつつある。例えば、NHK W杯アプリは驚異的なクオリティだが、20数年前のアメリカW杯の時は学校の授業中に「アルゼンチン勝ったぞ~」なんつって得意げに先生が言っていたのを思い出す。教師の最大アドバンテージは専門知識と情報だったはずだ。これからは、生徒からリスペクトされるには情報以外の何かが必要になる。自らの体験とか特殊な技術とかべらぼうな筋肉とかである。今の先生は大変だよな…なんて梅田の元祖変わりカツ丼屋『祭太鼓』で名物おろしカツ丼をかき込みながら、今週も読んだところで偏差値は1秒も上がらないノーエデュケーションコラム『燃えデブ』が始まった。

W杯をみながらカネヤンに顔面を蹴られるトレーバーを思い出した

 最近、W杯でいくつものビューティフルゴールを眺めながら、あのキックを思い出した。世界二大トーキックと称される、2002年日韓W杯ブラジルvsトルコ戦でロナウドが放った高速シュートと、1991年5月19日に秋田のロッテvs近鉄戦で乱闘の最中に金田正一監督が近鉄の助っ人トレーバーの顔面に見舞った蹴りである。園川一美からの死球に激昂して外野まで追いかけて、引きずられるように一度ベンチに戻ったと思ったら、再度相手ベンチ側に突進。ホームベース付近でコケてカネヤンに顔面を蹴られるトレーバー。しかもひとり悲しみの退場処分。恐らく、カネヤンキックは長渕キックレベルで小学校の教室で再現モノマネが流行り、30代以降の世代なら『珍プレー・好プレー大賞』でも繰り返し放送されたので、覚えている人も多いだろう。

 182cm、96kgの立派な体格でステーキ好き。明るい性格にガッツ溢れるプレーと、なんだかよく分からないけど凄そうな“ラリアート打法”と命名された暴れん坊助っ人として語られがちなトレーバーだが、野球の成績も素晴らしい一流外国人選手だった。来日1年目の90年は打率.303、24本、92打点で同僚ブライアントとコンビを組み“いてまえ打線”の4番を張り、翌91年も92打点であのデストラーデ(西武)とともに打点王を獲得、清原和博がバリバリだった頃のパ・リーグ一塁手部門でベストナインとゴールデングラブ賞にも輝いた。ああ見えて、ショートバウンド送球への対応など守備面の評価も高く、オールスター戦に出場するほどの人気者。しかも娘をアメリカンスクールから、大阪市内の普通の小学校に転校させるほど一家で日本の生活に馴染もうとしていた。めちゃくちゃ優良助っ人である。

野茂も阿波野もいたのに、何故か近鉄電車がトレーバーを中吊り公告でパワープッシュした1990年

 しかし、チームは黄金時代ピークの西武ライオンズの後塵を拝し、年俸等の条件面も合わずこの2年限りであっさり退団。当時は現代ほど助っ人選手のNPB球団間の移籍が活発ではなく、トレーバーが日本球界に戻ってくることはなかった。あの頃は、選手とファンも切ない別れの連続だ。もしも、トレーバーがあと20年遅く生まれていたら、NPB各球団を渡り歩いたアレックス・カブレラやホセ・フェルナンデスのような息の長い助っ人選手になっていたのではないだろうか。

 個人的に子どもの頃に『週刊ベースボール』で読んだ好きなエピソードがある。1990年春、近鉄電車内のオープン戦日程付き中吊り広告メインビジュアルで登場したのは、大物ルーキー野茂英雄でも、トレンディエース阿波野秀幸でもなく見慣れない背番号33。なんと親会社の近鉄グループをあげて、ジム・トレーバーをパワープッシュしたのである。この抜擢に本人も驚き「車内で広告を見つけた時、お爺ちゃんがポスターと目の前にいる自分を見比べ出して、オレは指名手配犯のように小さくなった」という。

 そう言えば2018年の今は電車内でスマホやタブレットに目を落とし、中吊り広告をあまり真剣に見なくなった。フラットな情報や広告が絶え間なくポケットの中に送られてくる日常。超便利で時に疲れる時代だ。俺は電車に揺られながらふと顔を上げて、トレーバーの中吊り広告がぶら下がる平和な風景を妄想するのである。
 
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