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【燃えろ!!デブ野球】第33回 平成最後の夏に10年前の「イチローの消えた巨人入り」を思い出す夜

燃えデブ第33回はマリナーズの球団会長付特別補佐を務める革命戦士イチロー!

SNSは嗜好品だ。ハマった時期は中毒的に求めるが、一度断つと日常からあっさり消えてしまう。

 SNSは嗜好品だ。

 最近、スマホを触る時間が激減している。これまで移動時や仕事の合間に頻繁に覗いて、寝る前はベッドの中で確認していたTwitterも、自身の記事拡散や野球の試合中の情報収集以外は開かない日すらある。インスタもアカウントは放置したままだ。もちろん、朝(というか昼過ぎだけど)に起きて仕事関係の電話やメールの着信がないか、スマホの画面は確認する。だが、生活習慣の中のSNSが嘘みたいに消えてしまった。

 で、思ったわけだ。SNSっていうのはゲームとかタバコとかコーヒーと同じで、ハマった時期は中毒的に求めるが、一度断つと日常からあっさり消えてしまう。イベントまで行っていたお気に入りのアイドル写真集も、IT社長相手のスキャンダル発覚と同時にただの紙キレになっちまうあの感じ。ガキの頃、ドラクエの冒険の書が「おきのどくですが ぼうけんのしょは きえてしまいました」なんつって突然抹消されると、直後はこの世の終わりに思えたものだが、数日後にはファミコンから自由になれた気がする12の夜。じゃあ普段何をしているのかと言われたら、来年発売予定の平成プロ野球総括本の資料雑誌を読んでいる。最新のものから平成初期の30年前のものまで、先日も実家へ古い雑誌を探すために顔を出し、ついでに駅構内で死ぬまでに一度は行った方がいい超絶品『熊たまや』の熊谷うどん(ぶっかけ400円)を一気食いして、今週もヘビーウェイトコラム『燃えデブ』が始まった。

10年前、週プレに掲載されたイチローの消えた「巨人入団」の全真相

 今回の大発見は10年前に発売された2008年1月7.14日号の『週刊プレイボーイ』だ。年末年始合併号の表紙&巻頭グラビアは全盛期バリバリの安田美沙子(現在36歳で一児の母)。2008年ブレイク確実!“次世代トップ3女優インタビュー”では当時全員10代の吉高由里子、志田未来、谷村美月が登場。“AV女優日本代表4トップ座談会”には麻美ゆま、みひろ、吉沢明歩、Rioと10年の時の流れを感じさせる女優たちが顔を揃える。そんなビキニ姿の安田美沙子の表紙にはこんな見出しが踊っている。『イチロー消えた「巨人入団」の全真相!』。週プレの野球ネタを舐めてはいけない。時々こういう野球専門誌にはできないスクープをかましてくる。なんとイチロー自身が独占インタビューで巨人入りについて語っているのだ。

 07年オフ、16年間に渡るプロ野球人生で初めてFA権を取得したイチローは最終的にシアトル残留を決断するわけだが、マリナーズ、ヤンキース、ジャイアンツの三択で迷いに迷う。愛着のあるシアトルか、伝統のニューヨークか、日本のジャイアンツか…って、なんと当時34歳で打率.351をマークしたバリバリの背番号51がNPB復帰を真剣に検討していたという。しかも、古巣オリックスでも地元中日でもなく、東京ジャイアンツだ。最近、日本球界ではみんながメジャーに軽い気持ちで来たがる流れに、だったら自分は日本に戻るべきなんじゃないかという使命感が芽生える。でもなぜ巨人?

「いくらカネを使っても、あちこちのチームから選手を集めても、強い巨人を作るんだということに徹する。東京ジャイアンツには、そういう存在でいてほしいんです。でも、やっぱりそれを嫌いな人がたくさんいて、この何年か、そういう振る舞いがちょっと揺らいでいる感じがします。世の中の圧力にキングが揺らいでいる感じ」

 だから、自分が日本に戻るとしたら、ボロボロになった巨人を再生っていうのが一番いい。そうすることで日本球界の流れを変えることができるから。実際に代理人は宮崎の巨人キャンプの環境も確認にまで行っている。背番号51は本気だったのである。結局、東京ドームで「3番イチロー、4番ラミレス、5番小笠原」の夢のクリーンナップが実現することはなかったが、その後もアメリカでヒットを積み重ね前人未到の日米通算4367安打を記録した。44歳の今はマリナーズの球団会長付特別補佐の肩書きのままチームに帯同、試合前の打撃練習では鋭い打球を連発して健在ぶりをアピール。来春のマリナーズの日本開幕戦では選手としての出場が噂されている。

なぜ燃えデブにアスリートなイチローを取り上げるのか?

 いや『燃えデブ』ってイチローの体型はデブとは真逆でしょと突っ込みたくなる気持ちはよく分かる。あえて書けばイチローの登場がプロ野球選手のアスリート化を加速させたのである。昭和の時代にあった強面の腹が出たオヤジたちの(江夏豊や門田博光といった)ザ・パリーグ感は、80年代中盤の新人類やトレンディエース旋風で徐々に薄れ、90年代中盤の背番号51の躍進で完全に終わりを告げた。

 さらば、がんばれ!!タブチくんにドカベン香川。いわば、デブ野球を殺した男、デブキラー鈴木一朗。浴びるように酒を飲み、二日酔いでグラウンドに現れランニングでアルコールを抜き、試合で大活躍みたいな野武士エピソードもイチロー以降はほとんど聞かなくなった。その時代遅れの番長キャラを演じようと自爆してしまった清原和博とは対照的な立ち位置だ。振り子打法とレーザービームの登場は革新的だった。そんな背番号51が、清原と入れ替わるように巨人入りを考えていたのは興味深い。球界の価値観の「破壊と再生」を一人でやろうとしていたのだから、やっぱり凄い選手だ。

 かつて、プロ野球が国民の嗜好品だった時代がある。俺らはカルビープロ野球チップスを義務教育の一環として買いまくったし、おじさんたちが喫茶店でタバコをふかしながら、週刊誌片手に日本シリーズを眺める風景は大人の世界の象徴だった。あの予定調和の世界をぶっ壊して平成プロ野球の扉を開いたのは間違いなくイチローの功績だが、その平成最後の夏もじき終わろうとしている。

 次の時代、俺らはスマホ以外に、“人生の嗜好品”を見つけることができるだろうか?

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