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「武藤敬司のムーンサルトプレス」と「大田泰示のホームラン」【燃えろ!!デブ野球】第69回

燃えデブ第69回は日本ハム打線を支える恐怖の2番バッター大田泰示

個人的にプロ野球界のリアルタイムヒーローが原辰徳と清原和博ならば、プロレス界は三沢光晴と武藤敬司だった。

 やっぱ初体験ってその後の人生を決定づけるよね。

 いやエロい意味じゃなくてね。ガキの頃、名古屋の叔父に初めて、久屋大通駅すぐのロッテリアに連れて行ってもらってメチャクチャ美味かった。ハンバーガーとポテトとコーラの香り。レーザーディスクのジュークボックスに100円玉入れて、ブルーハーツの『首つり台から』聴いたりしてね。大学生の頃は、マクドナルドで友だちの家に集まって65円バーガーを食いまくり、今はフレッシュネスバーガーやモスバーガーで遅い昼飯を取りながらスポーツ新聞を読む。恐らくアラフォー世代たちの幼少期は、まだファーストフード店って微妙に珍しかったんだよね。まったくないわけじゃないけど、田舎じゃ決して身近ではなかった。たまに遠出すると親が食わせてくれるみたいなさ。だから、ちょっと特別な思い入れがある。

 そう言えば生まれて初めて買ったプロレス雑誌の表紙は、闘魂三銃士だった。91年夏、第1回G1クライマックスin両国国技館で蝶野正洋がサプライズの優勝を飾り、ラストは対戦相手の武藤敬司、セコンドの髭面&Tシャツ姿の橋本真也の三人がリング上で並び「1、2、3、ダーッ!」締め。『ワールドプロレスリング』が土曜の夕方4時放送の時代の話だ。個人的にプロ野球界のリアルタイムヒーローが原辰徳と清原和博ならば、プロレス界は三沢光晴と武藤敬司だった。nWoジャパン結成前の蝶野は地味なイメージだったし、橋本はドンパチのブッチャー体型でヒーローという感じではない。だが武藤には華があった。圧倒的なスター性みたいなものだ。それはアイドル性と同じで努力や訓練じゃ身に付けるのが難しい。

 その上、武藤はシュートの強さも併せ持っていた。『さよならムーンサルトプレス』(イースト・プレス)の中で、入門当初の武藤が先輩たちとのスパーリングで、柔道技を駆使して互角以上に渡り合ったことが記されている。船木誠勝いわく「武藤さんは、入った時からできあがっていました。猪木さん、藤原さんと普通に本当にごく普通に取っ組み合いができてました」という規格外の練習生。格好良くて、抜群の運動神経とプロレスセンスを持ち合わせ、月面水爆を華麗に飛び、なおかつリアルに強いプロレスラー。大げさではなく新日が始まって以来の逸材である。当時、子どもながらに武藤の新しさに魅かれたものだが、その新しさの正体がこの本を読んで分かった気がする。昭和から続く伝統のアントニオ猪木イズムを肯定するでも否定するでもなく、スルーした天才。とどのつまり平成プロレスとは、武藤敬司だったのである……なんつって『らあめん花月』で蝶野正洋コラボの「嵐げんこつらあめんBLACK MONSTER」を啜りながら今週もシャイニングコラム『燃えデブ』が始まった。

トレードにより環境が変わり、くすぶっていた才能が爆発するわけだ。そう、大田泰示がまさにそれ。

 アメリカでのグレート・ムタ誕生、衝撃の全日本プロレス移籍。そのキャリアは波乱万丈だ。いつの時代もプロレスの世界では海外修行や団体移籍で新たなストーリーが作られる。サムライ・シローこと越中詩郎の全日から新日の移籍、あのオカダ・カズチカも海外遠征で“レインメーカー”となって凱旋帰国。野球界でも似たようなことはある。トレードにより環境が変わり、くすぶっていた才能が爆発するわけだ。そう、16年オフに巨人から日本ハムへ移籍した大田泰示がまさにそれ。巨人時代は8年間で9本塁打の身長188cm、体重94kgのビッグマンが、日ハム移籍後2シーズンで計29発。今季は打率.303、8本塁打、30打点、OPS.881と打撃主要3部門でチームトップクラスの活躍を見せている。19年から背番号5へ昇格。もう巨人ドラ1でゴジラ松井の55番を託されたみたいなアングルを語られることもなくなった。未完の大器が着々と完成へと近付いている。

 ラグビー日本代表ヘッドコーチがジャイアンツ時代の練習を見学に来た際に、その立派な体躯と抜群の運動神経を絶賛してラグビー転向を勧めたという逸話まで残るハイブリッドモンスター。もちろん誰もが期待した。いや期待しすぎた。自然と原監督やコーチ、先輩選手たちもグラウンド上に私生活と厳しくなる。皮肉なことに、巨人を出て、大田はプロ入り以来初めて、松井の後継者ではなく普通のイチ若手選手として見られたわけだ。ゴジラからの卒業。闘いからの卒業。巨人ファンにとって、大田の背番号55はネタだった。だが、北海道での背番号5はガチである。

球場で日本人野手のあんな圧倒的なホームランは、あれ以来見たことがない。

 東京ドームで坂本と丸がいて、さらに岡本と大田が並ぶドリーム打線を見たいと思わなかったら嘘になる。でも、一方ではこれで良かったんだよ。26歳というギリ間に合う年齢で新天地へ行けた。今、スポーツニュースでハムの大田の活躍を目にする度に思い出すのはあの試合のことだ。2012年(平成24年)9月23日のヤクルト戦、東京ドームの左中間スタンド上段にぶち込んだ特大のプロ初ホームラン。打球速度、角度、すべてが完璧だった。原巨人リーグ優勝決定直後、消化試合特有のヌルい空気を一瞬で切り裂いた一撃。球場で日本人野手のあんな圧倒的なホームランは、あれ以来見たことがない。天性の長距離砲。すげぇ、すごすぎる。けどどんな才能もいつか嘘みたいに消えちまう。全盛期の上原浩治のスプリットや欅坂46のステージや都丸紗也華のグラビアと同じで期間限定だ。俺らはいったいあと何度この奇跡を目撃することができるだろうか? 大田の放物線には、そんな儚さがあった。

 大田泰示はアイドルを卒業して、北海道で大人になったんだ。あの頃、みんな背番号55のプロ初アーチに夢を見た。そう、ガキの頃、テレビで初めて観た武藤敬司のムーンサルトプレスのように。

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