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金足農高の吉田君フィーバーに秋田の英雄・石井浩郎を思い出した9月の夜【燃えろ!!デブ野球】 第34回

燃えデブ第34回は、4球団を渡り歩き、3度の結婚をした“いてまえスラッガー”石井浩郎!

『プロ野球チップスカード図鑑』を眺めながらおもう、思い出よりモノだよね。と。

 野茂より思い出。いやモノより思い出。
 
 昔、そんな広告があった。でも、けっこう思い出よりモノだよね。だって、思い出って自身が都合よく切り取った記憶だから。でも、そのままの姿で残るモノは嘘を許してくれない。例えば、今手元に1枚のエロDVDがあるが、これは27歳の誕生日に新宿のラムタラで買ったものだ。小さなデザイン会社の下っ端で遅くまで残業をして、夜11時過ぎにあっ今日誕生日じゃねえかって気付き、自分への誕生日プレゼントとして帰りに新宿駅で降りてエロDVDを買おうと思ったのだった。凄い、けっこう救いようのないエピソードである。最近、死ぬほど疲れて「20代の頃は自由で楽しかった」とか、「あの頃は良かった」なんてノスタルジーに流されそうになった時、俺はこの素人お嬢さんシリーズのエロDVDパッケージを謙虚に眺める(なんなんだそのチョイスは)。自信をもって言えるが、あの頃は最低だった。

 モノって思い出。例えば、野球カードを見るとプロ野球に興味を持ち出した小学生の頃を振り返る人も多いだろう。先日発売された『プロ野球チップスカード図鑑』(ザメディアジョンプレス)の読売ジャイアンツ編を見ると、貴重な80年代や90年代のカードが確認できる(惜しむらくは江川や桑田が掲載されていないことだがまあギャラの…じゃなくて大人の事情だろう)。年代別に多くの選手が収録されているが、中尾孝義とか吉村禎章のカードがやっぱり懐かしく嬉しかった。そう言えば、小学生の頃に集めていたカードはどこに…と思ったら、欲しいという同級生にセットで売って、その金でファミコンの新しいゲームを買ったことを思い出す。なんて勿体ないことを…と後悔しても時すでに遅し。かと言って、大人になった今、ヤフオクやメルカリであの頃の野球カードを買い集めても虚しいだけだ。時間は絶対に戻らねぇ、だから僕らは食べるんだなんつって『一風堂』で白丸元味ラーメンを啜りながら、今週も豚骨コラム『燃えデブ』が始まった。

ある意味、石井の移籍は長嶋巨人の終わりなき大型補強を象徴していた。

 最近、甲子園のスター吉田君(金足農高)の巨人ラブコールが話題になったが、同じ秋田県と言えばカード図鑑にも掲載されていた石井浩郎が有名だ。身長183cm、体重94kgの体躯で早大からプリンスホテルに進み全日本の4番を張った男は、90年にあの野茂英雄と同期入団でプロ入り。近鉄バファローズの主砲として、93年には147安打でリーグ最多安打、94年には打率.316、33本塁打、111打点で打点王のタイトルを獲得。西武の清原和博を抑えて2年連続で一塁手ベストナインにも選ばれた。ちなみに90年代の通算本塁打数のトップは清原271本、2位は江藤智248本だが、石井は149本で14位にランクイン(15位は横浜のロバート・ローズで146本)。平成初期を代表するスラッガーのひとりだ。

 しかし、左手首の故障もあり手術代や治療費を巡り球団と揉め、ダメ押しで減額制限を超える年俸60%ダウンを提示され涙の移籍志願。97年1月には石毛博史、吉岡雄二とのトレードでプリンスホテル時代の人脈もある巨人へ移籍する…のだが、そのオフにFA移籍で同じファーストの清原が加入したばかり。90年代のパ・リーグを盛り上げた西武と近鉄の一塁手が巨人に集結するというわけの分からなさ(ついでに吉岡は移籍先で主軸へと成長)。ある意味、石井の移籍は長嶋巨人の終わりなき大型補強を象徴していた。

巨人の第65代4番打者に石井が座った時、あの頃は、最低だった。

 日本テレビ系列の情報番組『THE・サンデー』における人気コーナー『拝啓、石井浩郎です』では寡黙な東北人キャラを創作されたが、カッチカチのパンチパーマも含めてどこか昭和の匂いのする選手だった。99年の巨人退団後はロッテ、横浜と渡り歩き計4球団でプレーするが、私生活では97年に歌手の岡村孝子と結婚するもその後離婚、別の女性と再婚、また離婚、政治家になり3度目の結婚と公私ともに往年の“いてまえ打線”のように波乱万丈である。

 パ・リーグでイチローの時代が始まり、旧タイプのスラッガー清原や石井が巨人へ移籍した流れは興味深い。やはり前回コラムで書いたように革命者イチローの出現は、野球そのものを変えたのである。あの頃は良かったと90年代後半のノスタルジーに逃げ込みそうになった夜は、長嶋巨人の「3番センター松井、4番サード石井、5番ファースト清原、6番ライト広沢」という他球団の4番一塁コレクションオーダーを思い出すようにしている。あの頃は、最低だった。正直に書くと、巨人の第65代4番打者に全盛期を過ぎた石井が座った時に心底がっかりしたのを鮮明に覚えている。なんでやねんミスターと。勘違いしないでほしいが、近鉄時代の背番号3は頼りになるクラッチヒッターだった。だが、98年野球カードの裏には「巨人移籍2年目は5月末現在、打率.244、2本塁打、14打点の成績」の一文がある。残念ながら完全に衰えていたのだ。

 俺は自身に都合よく改ざんされがちな曖昧な思い出より、形ある野球カードやエロDVDを信頼したい。だから、いつの時代も「思い出よりもモノ」なのである。

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